郡山城跡の夕景写真

ニコンの一眼レフカメラD5300で、奈良県大和郡山市にある郡山城跡を撮影しました。
レンズは、D5300 AF-P ダブルズームキットに付属のAF-P DX NIKKOR 18-55mm f/3.5-5.6G VRを使用しました。

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郡山城は、10世紀後半、郡山衆が雁陣の城を築いたのが始まりとされています。
安土桃山時代の1585年(天正13年)には、豊臣秀吉の弟である豊臣秀長が大和国・和泉国・紀伊国三ヵ国100万石余の領主として郡山城に入りました。
1724年(享保9年)には、柳沢吉里が19代城主となり、城下町の整備に努めました。
その後、郡山城主は柳沢家に引継がれましたが、柳沢保申が24代城主だった1858年(安政5年)に郡山城二ノ丸付近から出火し、住居関係の建物群が全て焼失。
明治維新後の廃城令により、櫓や門、塀などの建築物は解体されましたが、石垣や堀の多くは残り、郡山城跡となっています。


天守台からの夕景を撮影しようと思い、JR大和路線の郡山駅から郡山城跡を目指しました。
少し北に向かうと見えきたのが、外堀緑地公園北門。

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予想より立派な門だったので、少し驚きました。
中の郡山城外濠跡は、外堀の一部を活用した緑地公園になっており、綺麗に整備されていました。

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その後、城下町を抜け、近鉄橿原線の踏切を渡ると、郡山城跡の敷地に辿り着きました。

郡山城跡の南側、本丸跡にある柳澤神社の鳥居。

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柳澤神社は、19代城主・柳沢吉里の父で5代将軍・徳川綱吉に重宝された側用人であった柳沢吉保を祀る神社で、1880年(明治13年)に創建されました。
当初は少し南側、奈良県立郡山高校が建っている二の丸跡に位置していましたが、1882年(明治15年)に現在の場所に移されました。


柳澤神社の東側にある柳沢文庫。
郡山城主であった柳沢氏を中心とした歴史的資料や、地域の蔵書等を保存、公開している図書館です。

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城跡の東側に位置する追手向櫓(おおてむかいやぐら)。
追手門(梅林門)を守るために建てられた2重櫓で、本多氏が城主だった時代は大手先艮角櫓(おおてさきうしとらすみやぐら)と呼ばれていました。

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追手向櫓を過ぎると見えてくる追手門(梅林門)。
豊臣秀長が入城した際に築かれたと言われており、柳沢吉里の時代から梅林門と呼ばれるようになりました。
現在の追手門は、築城400年を記念して1980年に復元されたものです。

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追手門の東奥にある追手東隅櫓。
追手門を横矢で守備する物見櫓で、柳沢吉里が入城するまでは法印斜曲輪巽角櫓(ほういんななめのくるわたつみすみやぐら)と呼ばれていました。
こちらは、1984年に復元されました。

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郡山城跡と天守台を、地元の方の散歩コースにもなっている周回路から撮影。
日没前後の夕日撮影に備えました。

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そして17時前、満を持して柳澤神社から天守台に向かおうとすると、神社の方から「天守台への入場は、17時までなのでお急ぎ下さい」との連絡が・・・
19時まで入場可能だと思っていた私は、大慌てで駆け上がり、多少息を切らしながら日の入り前の光景を数枚撮影しました。

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後で分かったのですが、天守台は10月から閉館時間が17時に早まります。
天守台からのマジックアワーの光景を撮影するなら、9月下旬の来場がお奨めです。

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残念ながら天守台からの撮影を諦め、再び周回路に戻ってマジックアワーを迎える郡山城跡と天守台を撮影しました。

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